勝つために戦うのか、負けないために戦うのか

創造の力

本日の独り言は、私の人生の教科書「ドラゴンボール」より、魔人ブウ編の終盤にベジータから出たセリフについてです。

あのプライドの塊みたいな、プライドが戦闘服着て歩いてるみたいなサイヤ人の王子ベジータが、決して他人を認めることなんかないあのベジータが、魔人ブウと戦う孫悟空を眺めながら、ついにカカロット(=孫悟空)を認めた時のセリフをまずはご紹介します。

「カカロット、お前に初めて出会ったのは、俺が辺境の星々を征服し、地球に立ち寄った時だ。」

「それから先の俺は、カカロットを超える事を目標に生きてきた。」

「何となくわかった気がする。なぜ天才であるはずの俺がお前に敵わないのか。」

「守りたいものがあるからだと思っていた。守りたいという強い心が得体のしれない力を生み出しているのだと。」

「確かにそれもあるかもしれないが、それは今の俺も同じ事だ。」

「俺は俺の思い通りにするために、楽しみのために、敵を殺すために、そしてプライドのために戦ってきた。」

「だがあいつは違う。勝つために戦うんじゃない。絶対負けないために限界を極め続け戦うんだ。だから相手の命を断つことにことにこだわりはしない。」

「あいつはついにこの俺を殺しはしなかった。まるで今の俺がほんの少しだけ人の心を持つようになるのがわかっていたかのように。」

「アタマにくるぜ!戦いが大好きでやさしいサイヤ人なんてよ!!」

「がんばれカカロット」

「お前がナンバーワンだ!!」

以上が、誇り高き戦闘民族サイヤ人の王子ベジータが、単なる下級戦士に過ぎないカカロットの強さ、そしてその精神性を認めた時の想いの全てです。

このセリフから考察すると、勝つために強くなることを目指したのがベジータで、負けないために強くなることを目指したのが孫悟空ということになるのですが、強くなるという目標が同じなんだから、結局、同じことなんじゃないのかと思えますが、そのプロセスや目的は大きく異なると私は考えます。

相手に勝つために強くなるということは、意識を相手に向けて、極端に言ってしまえば、その相手を少しでも上回っていれば良く、それが目標になりますので、成長には限りがあります。

一方で、どんな相手であっても負けないために強くなるということは、どんな相手と戦うのかわかりませんので、相手云々よりも意識を自分に向けて、自分の限界を見極めて、さらに限界を超えて強くなるということになり、その成長には限りがありません。

それが、エリートでありサイヤ人の王子であるベジータと落ちこぼれでサイヤ人の下級戦士である孫悟空の違いだったのだと私は思います。

我々地球人もついつい相手と比べたり、競ったりして争うことがあります。インターネットやSNSの普及によって、多くの情報を得ることが出来るようになり、他人の人生を羨むこともあると思います。その全てが悪い事だと言うつもりはありませんし、人間の欲望が成長の原動力になってきたことも事実だと思います。

ですが、やはり他人に意識を向けて比べることよりも、自分自身に意識を向けて、自分が本当になりたい姿に向かって、自分のできる範囲の努力をする。結果はどうであれ、それでいいじゃないですか。それ自体に幸せを感じたっていいじゃないですかと私は考えます。

鳥山明先生、大切なことを教えていただき、誠にありがとうございました。

あと余談なんですが、私は野球が大好きなので語らせてください。
野球とベースボールの違いについてです。いきなり何言い出すんだとか思わないでくださいね。

野球とベースボールは同じ意味だろとツッコミを入れたくなるかもしれませんが、そこは抑えてください。私は、日本の野球と米国のベースボールでは、重視されるポイントが異なると考えています。

ベースボールにおいて、重視されるのは打撃などの攻撃面であるのに対し、野球において重視されるのは、投手を含めた守備面ではないかと私は考えます。

その理由としては、まずメジャーリーグベースボールにおいて、投手のMVP受賞者が極端に少ないということです。また、アメリカには、「ルーズヴェルトゲーム」という言葉があります。

「ルーズヴェルトゲーム」というのは、野球好きだった第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズヴェルトが、「ベースボールで一番面白い試合は、ゲームスコアが8対7のシーソーゲームだ」と記者に伝えたことで生まれた言葉だそうです。私はこの言葉を、池井戸潤さんの小説でドラマ化した「ルーズヴェルトゲーム」を見て知りました。

要するに、アメリカ人にとってベースボールで重要視されるのは打撃であり、点を取りあう試合が見たいということになります。

それに対して日本野球で、重要視されるのは投手だと思います。

日本野球では、投手が試合を作ると言われますし、打撃は水物(予測がしにくく、当てにならない)なんて言い方をしたりします。

その背景には、アマチュア野球ではトーナメント戦が多いことなども影響していると思います。負けたら終わりの短期決戦においては、3割打てれば良いと打者と言われるヒットを期待するよりも守備面を鍛えて点を与えない方が勝つ可能性が高いと考えられたのだと思います。

そんな背景もあり、日本野球において良い試合や面白い試合と言われるのはどんな試合でしょうか。例えば、甲子園でいい試合と呼ばれる試合は、0対0でどっちに転ぶかわからない、一つのミスが勝敗を左右するような緊迫の試合で、最終回に劇的なサヨナラで勝敗が決まるような、僅差の投手戦ですよね。

この文化の違いが、「相手より多くの点数を取り、勝つためのベースボール」なのか、「相手より失点を少なくし、負けないための野球」なのかにつながってきます。

野球の歴史においてこういった意識が引き継がれていった訳ですから、もしかしたらもっと昔から日本人には、勝つことよりも負けないための意識があったのかもしれませんね。



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